2021年に買ったもの5選

1. PlayStation 5

まさか2021年になってもプレステ5の購入が困難だとは思わなかった。いろんなところの抽選に応募しては外れまくり、結局ヨドバシにてカードで購入するというもっとも無難な方法で入手することができた。
で、手に入れて箱から出した際の素直な感想としては、「とにかくデカい」。ゲーム機として許されるサイズを超えてしまっているように思う。
PS5は、柏餅っぽいカバーがついたデザインが特徴だが、ディスクドライブ部分のふくらみが左右対称を損なっていて、滅茶苦茶ダサい。全体として、デカくて妙に複雑な形状のくせにインテリアとしてもしょぼいという、デザイナの諦念がつまったフォルムになっている。結局、フォルムがXBox360に似るのが嫌だっただけじゃね、という気が。
そのほか、ホーム画面のUIが微妙とか、今になって決定とキャンセルボタンを逆にしたせいでPS4のソフトとボタン配置が逆になってしまい下位互換が損なわれているなど不満はたくさんある(特に後者はマジでなんとかしてほしい)。

とはいえ、4K対応は素晴らしい。ディスプレイいっぱいに広がる高精細なゲーム画面とか、UHDを再生した際の映像の美しさは得も言われぬものがある。だいぶ前に買ったシン・ゴジラのUHDも、今回ようやく観ることができたのだが、どうせ映像の内容的にあんまり変わらんだろとか思っていたら、ひと目で映像のクオリティが違うのがわかってびっくりした。
そもそも代々のPlayStationは、標準となるべき入出力機器・メディアを広める役割を担ってきたように思う。
PS1はCD-ROM、PS2はDVD、PS3はBDとFHDモニタ、PS4SNS共有とストリーミングといった具合。PlayStationを快適にプレイできる環境を揃えると、大体その時代にあった家電を揃えることができるようになっている。
そしてPS5は4KモニタとかUHDディスクとかがそれにあたるのであろう。

あと、ウリとなっている高速SSDは、まあ、ローディングはそこそこ速くはなったものの、今の所、そこまでの凄みは感じられないかなあ。

2. 「ガメラ 大怪獣空中決戦」4Kデジタル修復 Ultra HD Blu-ray

今年は平成ガメラ三部作が4Kデジタル修復され、劇場でも公開されていた。さすがに外に出るのは躊躇してしまう時期だったので、自分は見に行くことはできなかった。ガメラ3くらいは行きたかったなあ。

UHDについては三作とも全部購入したのだが、一番のおすすめは第一作のこれ。今回は本編をレストアしただけではなくて、コメンタリーも新規に収録しているのだが、本作では大映側の関係者三人、土川勉(プロデューサー)×佐藤直樹(企画)×小林剛(宣伝)が喋り倒していてこれがとにかく面白い! これまでは監督や撮影スタッフによるトークは色々公開されていたが、制作サイドだと、視点が異なることもあり、聞いていて別の楽しさがある。

印象的だったのは、平成ガメラ三部作では、脚本に伊藤和典 を据えることで、これまでのガメラとは違う大人向けのストーリーとなった。しかし、それが故に第一作の製作中、大映の人間からはガメラへの愛が無いと散々責められたらしい。さらに怪獣映画としては十分な資金を大映は出せなくて、撮影スタッフからも不満が寄せられてしまい、身の置きどころがなかったとか。
そんなこんなで苦労したうえで完成した第一作だが、初号試写の評判がすこぶるよく、関係者が手のひらを返して絶賛したという。

さらに、三作通じて金が無かったようで、資金の調達に奔走するはめになるのだが、それぞれのエピソードが面白くて、聞いている分にはとてもとても面白い。

個人的には、「風の谷のナウシカ」とかに並ぶコメンタリーが楽しい一品になっていると思う。

3. LG モニター ディスプレイ 27UL650-W

PS5購入に合わせて、とりあえずPCモニタを新調して4Kにするべと購入。そこそこの値段で4K/HDR対応となっていて便利。

4. Google Pixel 6 Pro

store.google.com

Google Tensorに惹かれて発表とほぼ同時に購入! したのだが、いざ使ってみると、指紋認証が遅いうえに屋外だと認識がさらに悪くなったり、本体がやたらに重くて、しかも滑りやすかったり、イヤフォンジャックが無かったり、カメラの出っ張りがダサかったり、パフォーマンスの良さが全然感じられなかったりと、いいところが何一つなく、メインの携帯はPixel 4aに戻してしまった。

現時点では、自室のAndroid端末として利用している。せめて、システムアップデートで認証がまともに使えるようにならないと、メインで使うのは厳しいかなあ。

5. iPad mini 第6世代

www.apple.com

デザインが一新され、USB-C対応となったiPad mini。ただ、iPad Proと比べると、Face IDが使えないのが不便。イヤフォンジャックも使えなくなったのもなあ。
ただ、スペックが上がったため、ほぼほぼストレスを感じることなく操作できるのは便利。片手でブラジングするマシンとしてはよいのではないか。


ということで今年買ったブツのなかで印象にのこった5点を上げてみたが、全体的に4K環境になったのは大きかった。Full HDになった時点で、テレビはこれで終着点かなあと思っていたのだが、まだもうちょっと先があったのね、という感じがしている。
逆にモバイル関連は、個人的にはいまいちだった。2022年は、ワイヤレス充電可能はiPad Proが出るという噂があるので、そちらに期待。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.333」

本作は、2012年11月に公開された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」のバージョンアップ版であり、全カットを2K解像度で再撮影し、IMAX対応したものであるという(詳細は「【緊急解説】 ここが進化した! 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.333』IMAX®上映」参照)。

実を言うと、公開後のフィルムに手を入れて、映像や音を修正するという行為があまり好きではない。こうした版を後から観ると、劇場公開当時の思い出を書き換えられてしまうような気分になってしまうためだ。個人的には、入力ソースは極力変えず、出力する環境だけを変えて上映してほしいものだと思う。
どうせやるのなら「ブレードランナー ディレクターズ・カット版」みたいに、内容や結末そのもの自体もいじって、別物として公開してほしい。

ただ、そもそも「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」自体、公開当時はそれほど思い入れがあったわけでもないし、劇場で観たときの記憶ももうほとんど無い(なんせ、8年以上経っているわけだし)こともあり、IMAXエヴァを観るいい機会だと思って、でかけてみることにした。

さて、2007年公開の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」から始まった本シリーズだが、旧劇場版から10年後にエヴァをリブートする、という状況や、それにともなう評判を自覚的に作中へ取り込んでいる構造になっていると、個人的には思っている。
例えば、新劇場版の世界は、まるで旧劇場版の後の、やり直しの世界に見えるわけだが、こうした世界観自体が、新劇場版の位置づけと同化している。また、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観ると、ゲンドウが強引に人類補完計画を進めようとしている感があるのだが、これも、新劇場版と銘打って、かつてのエヴァブームをもう一度無理やり作り出そうとしている、といったような冷めた批判を取り込んでいるのではないだろうか。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」になると、エヴァの呪いでパイロットは年をとならない、という設定が出てきて、エヴァから離れられないオタクやそれを作ったスタッフ(特に庵野秀明)そのものではないか、ということになった。また、作中ではネルフに敵対するヴィレという組織がでてくるわけだが、庵野秀明が、かつていたガイナックスを離れて、スタジオカラーを設立したことが反映されていると見えなくもない。


……そして、シリーズの制作は一時停止状態となり、月日が流れ、実に8年も経った。
世界も色々変わった。

庵野秀明は、「シン・ゴジラ」の大ヒットにより、代表作がひとつ増え、なんでもかんでもエヴァっぽくなるという問題自体が割とどうでもよくなった(ように見える)。かつて、綾波レイは「シンジくんがエヴァに乗らなくていいようにする!」と使徒に特攻したわけだが、庵野秀明は(はたから見ると)エヴァに頼らなくてもいい監督となった。
エヴァンゲリオン自体が、消費し尽くされてしまい、過去の名作のひとつとなった感がある。Qのもやもやとした終わり方と、次はどうなるんだー、という焦燥感は、もう忘れ去られようとしている。

今回、いよいよ始まる「シン・エヴァンゲリオン劇場版」公開にあたって、本作を含めて過去作がいろんな媒体で頻繁にリバイバル上映されているわけだが、そうでもしないと、これまでの物語自体が忘れさられてしまっていたり、そもそも何も知らない人も沢山いたりして、誰からも興味をもってくれないおそれがあるからだ。
おまけに、新型コロナウィルスの影響で、おおきなイベントも行えなくなり、さらに別のアニメ作品が超絶大ヒット中ということもあり、今回はどこまで興行成績を伸ばせるんかなあ、という気になってくる。

そんな状況でIMAXにて「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.333」を観てみると、色々感慨深い箇所が出てくることとなる。

本作では、シンジが目を覚ますとそこは14年後の世界で、サードインパクトを起こしてしまったことで、ヴィレメンバーから白眼視されている。このときの、誰からも頼られず、逆に忌み嫌われるシンジの描写が、「今だにエヴァを忘れられないオタク」の痛々しさに重なってしまう。
その他のシーンでも、シンジや、周りのキャラクターの描写のことごとくが、古のオタクやスタッフたちのように思えてくる。
例えば、作中、どうみても一番子供っぽいアスカが、シンジをガキ呼ばわりしているあたりとかは、古参のオタク同士がマウントを取り合っている様に見えてくる。ヴィレの古参クルーであるマヤが「これだから若い男は……」とか言っているのも、いかにも老害オタクという感じがする。
なかでも、シンジが「僕がエヴァに乗ります!」とミサトに訴えるところの、いたたまれなさは、今だからこそよりリアルに感じられるところがある。シンジくん、エヴァはもう……。

先に書いたとおり、もともとの「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」自体、「エヴァを忘れられない人たち」というテーマを内包していたと思うのだが、あれから8年経ち、「シン・エヴァンゲリオン 劇場版」公開直前というタイミングで観ると、内容がより直接的に胸にせまってくる。

……そんな痛々しいドラマの後に待ち受ける、終盤の黙示録的世界を堪能し、スタッフロールを見ていたのだが、次回予告が完全に新しくなっていて、テンションが上った。
ようするに、「次でちゃんと終わらせますよ!」ということを言っている予告なわけだが、あらためてQを観たあとだと、そりゃそうなるようね、という感じがしてくる。実際どうなるかわからないけど、なんとなく、各キャラクター(特にシンジ)からエヴァをどうやって解放してあげるのか、ということがキーになるんじゃないかなという気がする。

とまあ、色々書いてきたが、それはそれとして、冒頭のUS作戦~ヴンダー発進シーンがIMAX版となって超絶大迫力になっていたり、終盤のバトルがよりすさまじくなっていて、ひじょうに見応えのある一作となっている。
Qに失望した人も是非、シン・エヴァを楽しみにしている人はよりいっそう、本作を観ると色々得るものがあるんじゃないかなと思う。

世の中は、まるでフォースインパクト後のように混沌としており、本当に予定通りの日程でシン・エヴァンゲリオンが公開されるかはわからないが、どのようなタイミングにせよ、無事、劇場で観られるようになることを願ってやまない。
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「FINAL FANTASY VII REMAKE」という特権(ネタバレなし)

1997年に発売され、今でも絶大なる人気を誇る「FF7」がついに、リメイク版として蘇った。

本作では、オリジナル版の序盤エピソードであるミッドガル脱出までがプレイできるようになっているわけだが、ゲーム中の様々な要素について、世のプレイヤーが気になる多数のフックが設けられており、幾つもの感想を見かけることができる。

本稿もそのひとつになるわけだが、ここでは、なるべくストーリーの詳細、なかでも結末には極力触れず、ネタバレにならないように感想を書いてみたい。

さて、本作の特徴を一言で表すと「FF7を分作で作成できる、という特権を活かしきった一作」ということになるだろうか。
多分、現代において、このような内容の超大作RPGを作れるのは、FF7とそれを作ったオリジナルスタッフくらいではないかと思う。

例えば、もし仮に、海外でAAAタイトルを作っているデベロッパーに「FF7の冒頭からミッドガル脱出までの内容でリメイク版を作る」ことを依頼したらどうなるだろうか。

おそらく、ミッドガルを自由に行き来できるようなオープワールドライクなゲームを作ろうとするだろう。例えば「Marvel's Spider-Man」のように。

『Marvel’s Spider-Man』 ゲームプレイトレーラー


現代において、超大作RPGを作るなら、オープンワールドであることは必須であるはずなのだ。

……だが、FF7Rは時代に真っ向から逆らうかのように、ほぼ一本道で進むRPGとなっている。


プレイヤーは、ストーリー上用意されたスタート地点に立ち、各エピソードにて用意されたゴール地点まで一直線に進むことが、ほぼ義務付けられている。
舞台はオリジナル版に準拠しており、大半はミッドガルの下層であるスラム街が中心となる。したがって、あの印象的なオープニングでのミッドガル上層については、本編ではほとんど描写されず、歩き回れる範囲はほんの一部だけだ。

道中には、決まった場所に決まった敵が存在し、強制的に戦闘となる。エンカウントについては、ランダム要素があまり無いので、経験値稼ぎを気にする必要はない。ゴール地点まで全部の敵を倒せれば、必要となる経験値を手に入れたと思っていいからだ。

さすがにここまで一本道だと窮屈すぎると製作者は考えたのか、エピソードの合間に、ちょっとしたサブクエストが用意されていて、周囲を自由に歩き回れるような余地を残してはいる。ただし、内容的には箸休め程度と言っていいだろう。

こうした、終始リニアな構成のRPGにする、という割り切りが、本作最大の特徴であり、すごみであると言える。

こんなんで、一本のゲームとして成り立っているのか? 窮屈でつまらない内容になっていないのか? ……これが、なんと面白いのだ。恐しいことに。

面白くなっているポイントとしては、ひとつには戦闘の難易度が挙げられるだろう。本作では戦闘が比較的難しく、難易度ノーマルでも、ちょっと間違えると全滅する可能性のある敵がしばしば現れる。特にボス戦では、コツを掴むと、ある程度余裕を持って勝てるが、力押ししようとするとかなりきついという絶妙なバランスとなっている。このため、ひとつひとつの戦闘に集中する必要があり、作業感を無くす要因となっている。

また、グラフィックが素晴らしいことは言うまでもない。特に、スラム街では頭上にミッドガル上層エリアが広がっているのが印象的で、こんなみじめな暮らしをしていれば、そりゃ魔晄炉のひとつやふたつ、爆破したくなるよな、という感じがする。
本作では、探索要素こそ薄いものの、ミッドガル自体の描写は豊富で、ストーリーが進むにつれ、この奇妙な都市の様々な側面を見ることができる。結果として、ゲームを先に進めようとするユーザの意欲をかきたててくれる。
フォトモードが無いのが残念だが、後のアップデートで実装されることを期待しよう。

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スラム街頭上には常にミッドガルの上層が見える

さらに、ファンタジー世界であるにも関わらず、日本語や英語が作中にそのまま使われていて、現代風の建築物のなかに、レトロだったり未来風だったりするテクノロジーが混在しているのもFF7ならではと言えるだろう。

ということで、本作は、稀に見る「一本道の傑作RPG」となっている(インディーズレベルで作りそうなRPGにめちゃくちゃ金をかけて、超一流タイトルに仕上げたとも言う)。

そもそもオリジナル版もミッドガル脱出までは一本道だったわけで、こんなゲームはリメイク版だからこそ企画できたはずだし、世界的に人気作であるFF7がオリジナルにあるからこそ、ここまでリソースをかけて作れたのだろうと思う。

ただし、次はどうなんだろう、という懸念はあって、さすがにミッドガル脱出以降は探索要素が多くなるので、オープンワールドっぽい構成になる(せざるを得ない)のではなかろうか。
でも、次作にそこまでリソースをかけて、続編を作れるものだろうか(直接的な続編は前作より売り上げを落とす傾向にある)。
と、なると、ひょっとすると続編はナンバリングタイトルとして出る可能性もあるんじゃないかなあと思う。どうせなら FF17 とかだったらちょうと数字的にいいのにね。

その他、プレイして思ってことを2点、書き留めておきたい。

キャラクターデザイン

オリジナル版では、まだゲーム機の能力が低く、抽象度の高いキャラクターしか描画できなかった。
このため、プレイヤーにわかりやすいような特徴的なデザインになっているのだが、これがリアルなグラフィックで再現すると、途端に違和感が強くなる。
例えばに、片手が銃の巨漢や、でかい剣を背中にしょっている男が町中を歩くのは、さすがにまずいのではないかと思う。また、スラムの花売りとしてはあまりにファッションがファンシーすぎて、別の職業じゃないかという気がしてしまうし、ティファに至っては露出狂にしか思えなくなってくる。

多分、これは製作者たちも自覚していたことなのであろうが、もう、これは開き直ったのではないかと思う。
例えばバレットは非戦闘中には両手が使える、みたいなことはできたであろうが、せっかくのFF7なので、極力オジリナル版のリアリティを持ってこようとしたのではないか。

ストーリー

肝心のストーリーなのだが、好みは色々あるとは思う。個人的には、序盤のティファが出てから中盤くらいまでのギャルゲーライクなノリはすごく苦手だった。野島一成や、鳥山求のテキスト自体があんまり好きじゃない(特に後者)こともあって、会話シーンを聞いていてイライラするところが多かった。また、全体として、女性キャラクターばかりに焦点が当てられ、アバランチの男性メンバーの描写が後回しにされている感があることも不満のひとつだ(せめてサイドストーリーとかでピックアップすればよいのにね)。
なので、途中までは2時間ドラマを引き伸ばして見させられているような感じがしていたのだが、終盤あたりから、世界観の描写も含めて、どんどん惹き込まれ、最終的に十分楽しむことができた。
ウォールマーケット関連とか、宝条のエピソードあたりは、よりリアルになった結果、エグみが増しているのだが、それをそのまま出し切っているのもすごい。

まとめ

全体として、本作については色々不満点は出てくるものの、ユーザを十分楽しませてくれるゲームとなっている。
そして、こんな独特で歪なゲームが大体的にリリースされることは、なかなか無いだろう。音楽だって、メロディがはっきりした曲が、情報量の多いステージでかかるような機会はあまり無いはずだ。FF7を古くて新しいゲームへと見事にリメークしたのが本作であると言えるだろう。

『ルパン三世 カリオストロの城』シネマ・コンサート! and ベストヒット『ルパン三世』ライブ!(2019.10.26 / パシフィコ横浜)

カリオストロの城でシネマコンサートをする、と聞いた時に、「本当にできるの?」と思ったものだ。

というのも、この映画は、露骨に映像にあわせて音楽が編集されているのがわかる作品だからだ。

最もわかりやすいのは、かの有名なカーチェイスシーンだろう。
ルパンと次元がフィアット500でかっ飛ばし、クラリスと彼女の追手を追いかける箇所では「ルパン三世のテーマ‘80」が気持ち良くかかるわけだが、前方からバスが突如割って入った瞬間、曲がいきなり切り替わる。さらにルパンが車を立て直すと、再度もとのテーマに戻るといった具合に、アクションのテンポにあわせて、音楽も目まぐるしく変化するのだ。

これを実際ちゃんと演奏できるのか、とても気になっていたのだが、これがきっちり再現できていて、聴いていてめちゃめちゃ感動してしまった。

その他もおおむね、オリジナル通りに演奏しきっていて、大変楽しかった。特に、「礼拝堂だ!」の台詞でお馴染みのサンバ・テンペラードを生で聴けたのはとてもよかった。

ただ、やはり演奏する側は大変だったようだ。そもそも、譜面が残っておらず、今回イチから書き起こしたとのこと(2ヶ月以上かかったらしい)。作曲者自らが、自作を耳コピしたそうな。

本作は、サントラがでているのだが、収録されていない曲もあり、しかも本編では台詞に隠れて聞き取りにくい曲もあり、譜面に起こすのは困難を極めたという。
そして、できたらできたで、演奏するのも大変なのは先に述べた通り。

でも、おかげで大迫力の演奏を聴けて本当に良かったと思う。

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幕間休憩にパシフィコ横浜から外を撮影。平和だねー

上映後、休憩を挟んでの第二部は「ベストヒット『ルパン三世』ライブ」と題し、シリーズおなじみの曲の演奏となり、松崎しげる沢城みゆきやが、ルパンや峰不二子のテーマ曲を歌ってくれたりした(沢城みゆきは、第一部でも「炎のたからもの」を歌っていた)。
最後は、「まあ皆さんが聴きたいのはこれでしょ」と言わんばかりに、「サンバ・テンペラード」と「「ルパン三世のテーマ‘80」のフル尺で〆。

さらに、アンコールで、大野雄二によるピアノソロを聴くことができた。

ということで、全体的には、満足度の高い、素晴らしいコンサート&ライブになっていたと思う。

ただ、第二部のようにルパン三世全体をフィーチャーしたライブ、ということになると「カリオストロの城」とやや食い合わせが悪くなってしまうように感じた。

ボーカル版「ルパン三世のテーマ」を歌った松崎しげるは、「ルパン三世の魅力は、ルパンの男らしさにある」みたいなことを述べていたのだが、ヒロインから「おじさま」呼ばわりされる「カリオストロの城」では、ある種のダンディズムから距離を置いているところがある。

また、第二部では演奏にあわせて過去作の映像がスクリーンに映し出されていたのだが、この映像と演奏のリンクがいまいちだった。
そもそも、「カリオストロの城」を上映した後なんだから、照樹務が手掛けた二作品の映像を流してほしかった。
各キャラクターにフィーチャーした映像が流れるセクションがあったのだが、峰不二子については、「死の翼アルバトロス」のアクションシーンを使ってほしかったなあ。
ルパン三世のテーマ‘80」の締めの映像では「ルパン三世 PART5」のOPが使われていたわけだが、ここは「さらば愛しきルパンよ」のラストシーンの方がよかったと思うし。

アサシン クリード オデッセイ

万人が楽しめる傑作オープンワールド RPG

自分は、アサシン クリードシリーズやオープンワールドについてはそれほど詳しくない。例えば、GTAゼルダの伝説BotWも未プレイだ。

そんな初心者ではあるが、「アサシン クリード オデッセイ」については、皆にオススメできる傑作であると言い切っていいのではないかと思う。

ここでは、本作の魅力をかいつまんで紹介したい。

1. 古代ギリシアを再現した美しいビジュアル

まずなによりも強調しておきたいのは、美しいグラフィックと、臨場感だ。

紀元前430年ごろのギリシアをスタッフがいかに綿密に調査し、ゲームに活かしたかは、藤村シシンさんによる解説(文章・動画)に詳しい。

ubiblog-jp.com

これらの解説は、「アサシンクリード オデッセイ」をやり込むのに最適な資料になっているように思う。自分はこれらを読んだり見たりすることで、ゲームをプレイしながら、まるで古代ギリシアに迷い込んだ気分になったものだ。

ゲーム自体も、「プレイヤーを古代ギリシアの世界に彷徨わせる」ようなデザインになっている。
例えば、冒頭では、プレイヤーはケファロニアという小さな島から冒険を始めることになる。やがて、船で旅立ち、メガリス、フォキスと立ち寄る都市の規模が大きくなる。そして、追手やら狼やらと戦ったり逃げ回ったりして辿り着くのが、あのアテナイ! この歴史的に有名な都市に辿り着いたときの感動はすごいものがあった。
パルテノン神殿の威容、そして、金色のアテネ像をはじめとした、歴史的モニュメントの数々。このときばかりは、お上りさんのごとく、口を半開きにしながら、あちこちを見て回ったものだ。

2. 複数のメインクエストと豊富なサイドクエス

このゲームは、おおまかには4種類のメインクエストがある。

  1. 果てなき旅 : メインのストーリー
  2. コスモスの門徒狩り : 歴史に暗躍するコスモスの門徒を暗殺する話。一番アサシンっぽい
  3. 2つの世界の狭間で : ギリシア神話の世界を楽しめる話
  4. プラチナトロフィーの取得

4番目は私が勝手に付け足したものだが、このゲーム、プラチナトロフィーがめちゃくちゃ取りやすい! 3つのメインクエストをクリアしたプレイヤーは、あとちょっとの努力でプラチナトロフィーが取れるようになっているため、これが実質的に製作者側からのクリア特典になっているように思う。

ゲームの冒頭では、メインクエストの密度が濃く、色々意外な展開を楽しむことになるのだが、アテナイに辿り着いた後から徐々に、内容が希薄になっていく。
入れ替わりに、歴史上名だたる人物関連のサイドクエストが充実するようになる。特に、ソクラテス関連のクエスト(そう、なんと本作ではソクラテス本人からクエストを受諾することができるのだ!)は、「何を選択するか?」ということがキーになる本作の本質を語っているようで、興味深い。

本作では、メインクエストと、メインクエストに絡むストーリー性のあるサイドクエストのクリアがをクリアしていくことでレベルが上がり、新しいクエストに挑戦できるようになっている。

3. まさに「オデッセイ」なストーリー


本作のメインストーリーは、とある事件によって小島に流れついた主人公が様々な冒険の末、家族を取り戻そうとする話であると言える。

これは明らかに、タイトルの元ネタとなった「オデュッセイア」を意識している。
オデュッセイア」では、オデュッセウストロイア戦争の凱旋の際に神の怒りに触れ、様々な冒険の末に、家族に再会することになる。

このオデュッセウス古代ギリシアを放浪する物語をアテナイ絶頂期に時代を移し、再構築したのが本作だと言えるだろう。

4. ついに実現! ディスカバリーツアー

前作である「アサシン クリード オリジンズ」で好評だったディスカバリーツアーが、本作でも2019年9月に、ついに実装された。

ubiblog-jp.com

アサシン クリード オデッセイ」購入者なら、無料でダウンロードし、楽しむことができる。
ゲーム中に再現された古代ギリシアの世界を思うまま旅することができるのが本作の魅力の一つなのだが、ディスカバリーツアーによって、さらに理解を深めることができるようになっている。


世に様々なゲームがあり、今となってはオープンワールドのゲームも沢山のタイトルが乱立するようになっている。でも、かつて地球上に存在した文明をオープンワールドとして心ゆくまで楽しめるゲームはアサシンクリードシリーズくらいであろう。
本作は、そんな奇跡的な完成度を楽しめる唯一無二のゲームになっているように思う。

2019年のマトリックス

9月6日より、制作20周年記念として、2週間限定で「マトリックス」の4DX上映が行われている。


映画『マトリックス』製作20周年特別予告 2019年9月6日(金)期間限定上映


20周年……。もうそんなに経つのかあ、という感慨があるわけだが、4作目も制作が決定したとのことで、これからもコンテンツとしてはまだ生き続けていくのだろう。

ただ、一作目を今後スクリーンで観られる機会はそうそうない。
また、「マトリックス」については公開後様々なフォロワー/オマージュ/パロディーが乱立し、作品として消費し尽くされた感があった。しかし、これだけ時間が経てば、あらためて新鮮な気持ちでこの映画を楽しめるかもしれないと思い、観ることにしてみた。

結果、やっぱり面白い! キアヌ若々しい!!(今も若いとの声もあるけど、なんだかんだ貫禄が出ちゃっており、この当時の若造っぽさとはちょっと違う)、キャリー=アン・モス美しい!!!

そして何よりも、映像がめちゃくちゃスタイリッシュでよい。

主人公はソフトウェア会社勤務でハッカーという設定だが、20年前ということで、各種IT機器は大分古めかしい。モニターは液晶ではないし、スマホなぞは影も形もない。
でも、シーンの見せ方がうまいため、こうした古いガジェットがあまり気にならない。なんだかんだいって、NOKIAのケータイはかっこいいし、黒電話やちょっと古ぼけたソファーみたいな家具を全面に出すことで、時代による経年劣化を防ぐことができている。
そこに、さらっと映画の元ネタとなった本が映り込んだり、「これは何かのメタファーですよ!」と言わんばかりの構図があったり、様々な作品のオマージュがあったりと、情報がたっぷりと盛り込まれていたりする。監督の趣味が内容に露骨に出ていて、それを隠そうともしないのが大変よい。

登場人物が金髪碧眼の典型的な白人俳優ではなく、様々な人種で構成されているのは、現在に通じるところだ。
さらには、女性がアクションし、なおかつそれがスクリーンに映えるように演出されている、というのもこの映画の特徴だろう。ハリウッド映画において、女性による美しいアクションを見せ場にするというのは、実質的に「マトリックス」から始まったと言っていいんじゃないかと思う。

ストーリーの進め方もうまい。

最初にバレットタイム混じりのアクションで観客の心を掴み、主人公ネオの登場から、怖るべき敵、世界の秘密といった要素がテンポよく展開する。また、ネオ(NEO)こそが救世主(The one)であると告げられるが、預言者を通して、果たしてそれが本当なのか、とドキドキさせるのもうまい。

誰もが見慣れたビル街から、突如おぞましい人間が家畜化された世界や、崩壊した地球の様子が描かれ、さらに、仮想空間上の古寺にてカンフーの特訓シーンまで出てくるという畳み掛けかたもすごい。



ただ、物語が中盤から終盤に差し掛かるところで、雲行きが徐々に怪しくなる。
主人公の導師であるモーフィアスは、ネオにこのようなことを語りかける。「マトリックスの世界にいるひとたちは、マトリックスに囚われており、すなわち、敵だ」と。

これは、公開当時から批判を浴びていた箇所ではあるが、改めて見直すと、テロリストの論理だよなあと思ってしまう。

ネオとトリニティは、この言葉に導かれるかのように、銃をとり、殺戮を繰り広げる。

二人は、囚われたモーフィアスを救出するため近くのビルに押し入り、警備員と銃撃戦を繰り広げ、全員を殺す。
このシーンは、銃撃による過剰な演出(と、攻殻機動隊へのオマージュ)が話題になったわけだが、しかし、世界各地で銃撃事件が起きている今となっては、複雑な感情が湧き上がってきてしまう。
この映画の公開後に起きた、コロンバイン銃撃事件では、本作の影響が指摘されたこともあった。そして、現実と繋がりに苦しんだ人たちが武器をとり、一般市民を無差別に殺害する事件は、あれから幾つも増えた。
マトリックスがこのような事件に対して責任を負う必要は無いとは思うが、虚しくも悲惨な行為を無邪気に演出してしまったのは、作品の瑕疵ではあるように思う。

ネオとトリニティは、銃撃戦の後に、エレベーターに爆弾をしかけ、ビルのフロアまるごとを火の海にする。このくだりは爽快感のあるシーンとして演出され、当時の観客も快哉を叫んだものだが、2019年夏に日本で観ると、大変複雑な感情を覚える箇所になってしまっている。

また、現実世界に目覚めたことを後悔し、マトリックスに戻りたいと願うキャラクターとして、サイファーが出てくるが、公開当時は「気持ちはわからないでもないが、偽の世界で家畜化されるなら、厳しくも真実の世界にいたほうがいいよね」と皆が思っていたはずだ。
でも、VR技術が発達し、「レディ・プレイヤー・ワン」といった作品が公開されている今となっては、この二項対立自体に意味があるのか、と思えてくる。そもそも、マトリックスの世界ってそんなに悪いものなのか? とも。

マトリックス VS 現実の人間たち(ザイオン)の戦いは、2作目(「マトリックス リローデッド」)、3作目(「マトリックス レボリューションズ」)で語られるわけだが、上記のようなテーマをどこまで描かけているかはもうあんまり覚えていない。自分の微かな記憶では、内容的には権力論みたいなもので、ちょっと肩透かしをくらった記憶がある。

マトリックス」は、現在の最新の超大作と並べてもなんら見劣りしないビジュアルセンス、そして設定の妙がある傑作ではある。でも、マトリックスという世界そのものの定義については、当時と現在とではちょっと違っているように思うし、現実の世界はより厳しさを増している。

そいうい意味で、本作の続編を再び作る意味はあると思う。ウォシャウスキー姉妹の今後に期待したい。

ちなみに、4DXとしては、せいぜい雨のシーンがよりリアルになったくらいで、それ以外の効果はあんまり感じなかった。まあ、スクリーンで観られることに意義がある、ということで。

ダメな吹き替えを語るより、良い吹き替えを教えて欲しい

メン・イン・ブラック最新作にて、アイドルが吹き替えを行うことが契機になったのか、「声優としては」素人の人たちが吹き替えを行うことが批判の対象となっている。
news.livedoor.com
最近だと「シャザム!」とかが顕著だが、吹き替えを安直な宣伝の道具としている感も批判の対象となっているようだ。
togetter.com


こうした吹き替えキャスト関連は、度々炎上しているわけだが、どこか不毛でもある。
と、いうのも、下手くそな吹き替えを批判するような映画ファンは、そもそも吹き替え自体を観ないのだ。彼らの大抵は字幕派であり、場合によっては吹き替えそのものを「原典に手を加えた紛い物」として見ているフシがある。

で、あるならば、配給元としては、口は煩いが吹き替えそのものに興味が無い層は放っておいて、演技とかよくわからないし気にしないが、話題性には敏感な層にアピールできるキャスティングになるんじゃないかなあ、と思ってしまう。

こうして、吹き替えは地雷と化し、映画ファンはますます字幕しか観なくなり、アニメ映画とかも含めて質の悪いキャストがはびこるようになってしまう。
いやもう、吹き替えを観る場合、いちいち声優のキャストをチェックしないといけないというのはめんどくさ過ぎるんですが。

ただ、良い吹き替えというのは、良い字幕を凌駕するものでもある。
吹き替えの方が多くの情報を伝えることができるため、もとのセリフに近いニュアンスを伝えることができるし、場合によっては、声優によって、より適切な演技が加わることがあるからだ。
例えば、戸田奈津子による字幕が批判された「ロード・オブ・ザ・リング」第一作については、より正確で、情報量が増えた吹き替え版が評価された。
自分自身、吹き替えっていいかも、と思う契機になった一作だ。

最近では、「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」の吹き替えが印象に残っている。前作でもそうなのだが、ベテラン声優陣の演技がものすごく良い。
レイアを演じた高島雅羅は、キャリー・フィッシャーのダミ声を一切無視して、お姫様声で演じていたが、これは、完全に正解だろうと思わずにはいられない。
また、ルークを演じた島田敏は、レイと出会った当初はいかにもな爺さん声なのだが、物語が進むにつれ、徐々に声が若々しくなっていく。そして、ある出来事を契機として、完全に以前のルークと変わらない声となり、最後の決戦に挑むこととなる。

これは、過去の事件により、すっかり世界に絶望しきっていたルークが、レイと出会うことにより、徐々に希望と、かつての自分を取り戻していく様子を表現しているのだと思う。
こうしたことができるのは、声色によって年齢を自由に変えることができる日本の声優ならではの技術であると言えるだろう。

スター・ウォーズ/最後のジェダイ」吹き替え版は、ルークのギャグがうまく活かせていない箇所が一点あったのが気に入らないのだが、それ以外は、字幕より遥かにできがよく、強くお勧めできる一作となっている。

こうした、出来の良い吹き替えが積極的に評価され、観客がたくさん観に行くようになれば、状況はだいぶ改善されるんじゃないかなと思うのだけれど。