一言で言うと佳作――「スター・ウォーズ フォースの覚醒」(ネタバレ無し)

とりあえず、四度観たのだが、現時点での感想をざっと書き出しておきたい。

1. 吹き替え版お勧め

今回の字幕は戸田奈津子ではなく、林完治であり、さすがに「ボランティア軍」みたいなヒドイ訳はなかったと思う。ただ、微妙に情報が足りていなくて、ストーリーを追っていると「?」となってしまう箇所が幾つかあった。
一方、吹き替えだと、字幕だとわからにくい箇所ちゃんとフォローされていて好印象。特に中盤のとあるシーンでは、吹き替えの方が誰が喋っているかを把握しやすくなっている。

また、声優陣もハン・ソロ磯部勉をはじめとして安定したキャスティングとなっており。とても聞きやすい。ただ、レイの声が棒っぽいのがなー。まあ、新鮮味があるということで。

2. 目新しさが何もない映像

これまで色々批判されていた各エピーソード(特にプリクエル三部作)だが、少なくとも「今まで誰も見たこともないものを魅せる」ことは、全編通して試みていたように思う(それが成功したかどうかはさておく)。が、今回に関しては、新しいことは何も無かった。ぶっちゃけ、主としてEP4〜EP6までに出てきたガジェットをそのまま出しただけだった。

もっと言うと、スター・ウォーズの世界を拡張するようなものは何もなかった。評判の悪いEP1は、当時の共和国がどんな感じなのかをちゃんと描写してくれていたし、迫力のあるライトセーバー戰が楽しめた。
でも、今回は「ジェダイの帰還」以降30年経って、世界はどのように変わっていったのかが全然わからない。タトゥイーンをモデルにしたと思しきジャクーはともかく、他の惑星描写の貧困さはどういうことなんだろうか。また、意図してやったような気もするが、一部シーンのスタジオ撮影くささはなんなのだろうか。さらには、クライマックスのアクションにおけるアイディアの無さは、唖然とするばかりだ。

3. 現代的なキャラクター

なんら進歩していない映像とは対照的に、新キャラクターについては、現代的な性格として巧みにリファインされていた。特に、主人公兼ヒロインのレイについては、強くて自立した女性として、魅力的に描かれていたように思う。アクション映画の女性主人公は扱いが難しいように思うのだが、本作ではかなりいいところまでいったのではなかろうか。この手の娯楽超大作品における主要女性キャラクターはどう描写すべきか、ということにひとつの答えを出したのかなあと思う。

また、その他の新キャラクターについて、敵味方含めて印象的だったのは、みんな未完成感というか、未熟者ばかりだったということ。これは、あと2作の作成が決定しており、ちゃんと収入が見込めるシリーズならではの特権と言えるだろう。

まとめ

ということで、個人的には野田昌宏に「SFは絵だねェ」と言わせたスター・ウォーズの最新作にも関わらず、映像がしょぼいのは納得がいかなかった。確かに、新旧キャラクターがみな立っているのはよいところではある。しかし、スター・ウォーズにおけるキャラの魅力なんてのは、刺身のツマ程度のもんでしょう? そんなものを褒めてもなあ、という気がする。
で、一般の人がこれを見て感動したり絶賛するのは全然構わないんだけど、スター・ウォーズ好きを公言し、映画批評で名を売っている人とかが、これを絶賛するのはどうなの、と思う。例えば、ライムスター宇多丸とか高橋ヨシキとかが、散々プリクエル三部作をこき下ろしといて、さらに今作を大絶賛していて、しかもキャラが良かったとかオリジナル三部作を尊重していて良いみたいなことしか言ってないのは、なんだかなーと思う。それって単なる懐古趣味だよね。スター・ウォーズをそういう扱いにするのはどうなの?
J・J・エイブラムスの最高傑作とか言ってたけど、スタートレックの方がずっと野心的で良かったと思うよ。

14なのか15なのか、それが問題だ

「アイドルから卒業する最高の方法とは?」というお題で、姫乃たまは以下の様なことを書いている(内容的には「最も望ましいアイドルの卒業とは?」というのが適切なタイトルなような気が)。

そんな中で、アイドル評論家の人が最もよい方法としたのは「時期を決めてファンと駆け抜ける卒業」でした。卒業時期を一年後と発表したAKB48高橋みなみや、半年ほど時間を置いたモーニング娘。'15の道重さゆみなどが、最高の卒業をしたアイドルにあたり、「ファンも心の準備ができるし、最後までのイベントを全通するなど一緒に駆け抜けられる」といった、納得できる理由でした。

アイドルから卒業する最高の方法とは? 地下アイドル・姫乃たまが考える - Real Sound|リアルサウンド


これってごくごく普通な話じゃん。スキャンダルじゃなくて、それなりに評価を受け、(少なくとも表向きには)円満に卒業するアイドルならみんなこうするでしょう。事務所的にも卒業までに沢山金をゲットすることができるわけだし。その後の文章でいずこねこの例を挙げているようだが、そちらの方が特殊なのではないだろうか。

が、ここで気になるのはそこではなくて、「半年ほど時間を置いたモーニング娘。'15の道重さゆみ」という一文である。これは表記ミスだ。
まず、モーニング娘。が「モーニング娘。’15」になったのは2015年1月1日からであり、道重さゆみが卒業した後のことである。道重さゆみが卒業したのは2014年末なので、当時のグループ名である「モーニング娘。’14」とするのが本来は正しい。そもそも、グループ名の後ろに「’(西暦後ろ二桁)」を付けるようにしたのは、その年に何をしたのかが明確になるように*1、という意図があるので、その意味でも当時のグループ名にするべきだろう。あるいは、「モーニング娘。’14(現モーニング娘。’15)」と二重にする手もあるが、冗長だし2016年になると間違った表記になってしまう。どうせなら「モーニング娘。」という以前の名称や「モー娘。」という略称にしてもいいかもしれない。

とまあ、色々候補があるなかで、姫乃たまは最も間違った表記にしてしまったわけだが、果たして上記のようなことを考えたのだろうか。そうではなくて、何の考えもなく機械的に現在のグループ名をコピペしたのではないだろうか。
恐らく、彼女やこれをWebに載せたReal Soundの編集はモーニング娘。にも道重さゆみにも(もしかしたらアイドルにも)さして関心がなかったのであろう。関心がなくても真っ当なライターなら、名称の後ろの数字がいかにも西暦っぽいことに気がついて、道重さゆみの卒業日くらいは調べるはずではあるけれど。

で、思うのは、今後もこういう例が増えるだろうなあ、ということだ。適当にグループ名をコピペするようなライターはきっと「モーニング娘。’15を卒業した道重さゆみ」とか、「モーニング娘。’16に加入した尾形春水」みたいなヘンテコな文章をこれからも書いてしまうことであろう。
逆に、当時の数字でグループ名を記載しているライターは、ちゃんと調べて書いていることがわかるわけで、ライターの良し悪しを判別しやすい形式のグループ名ということになるのだろう。

ハロコンに行ってきた

「DANCE MODE!」2回、「HAPPY EMOTION!」1回、計3回。

ハロコンでは、各グループ毎の新曲見せる公演と、既存曲を各メンバーがシャッフルして歌う公演の2パターンが存在するが、今回はセットリストはもちろん異なるが、両者に明確な違いはあまり無かったような感じがある。前者ではちょっとしたパフォーマンスがあり、後者では多少シャッフルがあった程度だが、まあそれだけです。
どちらかというと、ハロプロのリーダー格が℃-uteになったということと、大量に追加された新人の顔見せが主目的になっている感じがする。

現時点(1月第2週)でのウリはなんといっても、アンジュルム(旧スマイレージ)の新曲が披露されたことだろう。「大器晩成」は「DANCE MODD!」で、「乙女の逆襲」は「HAPPY EMOTION!」で見ることができた。どちらも、グループの再スタートに相応しい、カッコイイ曲になっているように思う。ただ、それぞれ方向性は違うものの、自己啓発っぽい歌詞なのがちょっとひっかかるなあ。ただ、改名後最初のリリースとしては、相応しいのかもしれない。
あとは、毎回ハロコンに行くたびに感じるのだが、和田彩花のスタイルやダンスは、ずば抜けて素晴らしい。ステージに立っているだけで、華があるというか。振りはそんなに大きくないんだけれど、ちょっとした所作がハマっていて、誰よりもうまく見える。
また、今回加入した新人がちゃんと馴染んでいるのもすごかった。特に、室田瑞希はここぞというところのソロパートをゲットしていて、はやくも風格を見せていた。

新人でいうと、カントリーガールの面々も、とてもとても可愛かった。本当に可愛かった。それぞれのグループとも、「クールでかっこいいアイドル」を目指している中で、直球ど真ん中の可愛らしい曲調やダンスを披露してくれていて、見ていてとても安らかな気持ちになれるというか。

モーニング娘。’15の12期については、トークは申し分ないクオリティだった。他の新人たちは結構危なっかしい感じで、司会がフォローしてなんとか間を持たせているのだが、この4人についてはお互いがわちゃわちゃ楽しそうに喋っていて、見ていてとても楽しい。
ただ、パフォーマンスでは、人数的にどうしても目立つことができていなかったような。既存の曲ばかりなので、ソロパートが(多分)無く、結果として見せ場を作ることができなかかったということもある。そもそも今回のハロコンのステージ設計自体が、13人のグループがパフォーマンスするには狭すぎた感がある(し、そのあたりが鈴木香音の捻挫に繋がったんじゃないのでは、という気がする)。
これまでのフォーメーションダンス路線がどうなるのかも含めて、次のシングル(のMV)や春からの単独コンサートに期待したい。

全体では、℃-uteの存在感が際立っていた。個々のパフォーマンスも圧倒的だったし、壇上に各グループが総出演しているときでも、頭ひとつ抜けて目立っていた。
あまりにもすごすぎて、もうアイドルという括りからはみ出しているように思う。この5人に対して現時点で互角に戦えるのは和田彩花くらいじゃないかなあ。

あとは、仮に噂されているモーニング娘。’15の新曲リリースが2月にある場合、ハロコン後半で披露されるのではと睨んでいる(おそらく、TIKi BUN枠に来るはず)。ということで、2月にもう一回くらいは行く予定。

紀伊國屋書店 ダサピンク問題雑感

紀伊國屋書店 渋谷店にて、「本当は女子にこんな文庫を読んで欲しいのだ」フェアなるものが行われ、盛大に叩かれていた。

「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた - 田舎で底辺暮らし

文庫担当の男性店員が、「女子の意見を一切聞かずに」女性に読んで欲しい本をセレクトし、ポップを添えて店頭に並べるという企画だったらしい。
しかも、このポップが「SFに理解のある女性は100%モテる」とか「オシャレ女子なら北欧ミステリでしょ。」といった恥ずかしいもので、そりゃ、抗議が来てフェアが撤去されてしまうよな、という感じがする。

また、もう一点気になったのが、文庫本のセレクトが無難すぎることだ。

「SFに理解のある女性は100%モテる」というポップが置かれた本は、「ゲイルズバーグの春を愛す (ハヤカワ文庫 FT 26)」なのだが、これはノスタルジーが大量にまぶされた時間旅行にまつわる短篇集で、女性受けが良いSFである*1(レーベル的にもジャンル的にもファンタシーだと思うが)。また、北欧ミステリとして挙げられているのは「雪の女 (創元推理文庫)」で、これは、女性限定のセラピーセンターで起きた殺人事件の物語である。主人公も女性警官だし、明らかに女性に向けて作られた小説になっている。

つまり、女性が普通にハマるであろうド本命の小説をわざわざ男だけで集まって選んで、馬鹿なポップを付けるってどういうことよ、と思うわけだ。このセレクトなら女性を交えても出てくるはずだし、どちらかと言うと女性店員にポップを依頼したほうがより良いものが出来たのではなかろうか。

まさに、女性向け商品のデザインを男が安直に決めて反感を買ったダサピンク的な企画であったと言える。

で、どうせ男子限定で選ぶのなら、もっと女性受けが悪い小説にすべきだったのではないかと思う。どちらにせよ文句が来たとは思うのだが、せめて「女性にもこういう本を読んで欲しかったんです」という言い訳はたったのではないかと。
例えば、SFだったら……うーん、これは偏見と言われるかもしれないけれど、まあ、ごりごりのハードSFとかですかね。イーガンの「万物理論」あたりとか。ただ、これも地雷を踏みそうな気がするなあ。

ということで、ここでは逆に自虐に走ってみてはどうだろうか。多分、ティプトリーあたりを持ってくれば、許してくれるような気がする。この文脈なら、「愛はさだめ、さだめは死 (ハヤカワ文庫SF)」が最適だろう。
ポップはちょっといじって「SFに理解のある女性は100%モテる。特に『男たちの知らない女』を読めば完璧」とか。

*1:実際女子大生でハマった人を知っている

シナリオの矛盾点は、登場人物に指摘させるとよい(ことがある)

「SHIROBAKO」第12話では、主人公でアニメ制作進行の宮森あおいが、難易度が高くてひきとり手が誰もいないカットの原画を依頼するため、超一流アニメーターである菅野の元を訪れることになる。

ここで、菅野は、宮森がいるアニメーションスタジオには、自分よりも適切な原画マンがいることを告げる。彼の名は杉江茂。彼は高齢のため、絵柄が現在のタッチと合わず、他社の子供向けアニメを担当していたのだった。しかし、杉江はこれまで数々の名作を手がけた凄腕のアニメータであることを菅野は力説する。

ということで、宮森は杉江へ原画を依頼し、彼の下でスタッフが奮闘するというのが今作の見どころになっている。

D

しかし、このストーリーにはひとつ問題がある。新人の宮森はともかく、彼女らが所属しているアニメーションスタジオ(武蔵野アニメーション)の人たちなら、古参の杉江の経歴くらい知っているはずだ。ならば、社長やラインプロデューサー、制作進行の先輩あたりが宮森に彼を推薦するというのが本来のあるべき姿であるはずだ。

一応前話で、杉江が候補に上がるが「絵柄が合わないしー」みたいな会話があって、否定されるというくだりがあったのだが、そもそも件の箇所は「馬の大群を描けるアニメーターがいない」から問題となったので、人物の絵柄はあんまり関係ないだろうし。

……とは言うものの、ここで先輩らが宮森に杉江を推薦してめでたしめでたし、ではお話としては面白くなくなってしまう。切羽詰まった宮森が、庵野秀明を思わせる超一流のアニメーターに会いに行くからこそ、ドラマになる。そして、庵野……じゃなくて菅野から「これをわしが描く意味ってなんだろう。どうしてわしに頼んで来たの? 誰でもよかった?」と諭され、のちに宮森が「この仕事は杉江さんしか出来ないと思います」と言い切るという展開こそが、このエピソードの見どころのひとつになっている。

なので、シナリオ的には、どうしても先輩らには杉江の経歴を忘れてもらう必要があったわけだが、ここで、視聴者の先手をうって、登場人物に問題を指摘させたのがうまいやり口だった。
宮森に杉江を推薦した菅野は最後にこう言う

「逆に言うと何で杉江さんに頼まないか不思議だけどね」

この一言を挟むことで、杉江の扱いを巡る問題は「シナリオの矛盾点」から「登場人物の問題や都合」にすり替えることができたのだった。宮森が原画マンを求めて右往左往しているときに、先輩らは何をやっていたのだまったく。

ちなみに、シナリオ上の問題はもうひとつあって、宮森の行動があまりにも遅いのだ。
宮森は、菅野と話をした翌日の夕方の会議で初めて杉江の話を切り出し、その夜に杉江邸に訪れ説得、翌々日の朝から本格的に作画作業開始となるわけだが、これはさすがに後手後手に回りすぎだろう。
遅れに遅れている制作進行を考えれば、菅野邸を辞した直後にスタッフに連絡を取り、翌朝に杉江に依頼するくらいのことをすべきだろう。

これは、おそらく、夜の杉江邸で夫人をまじえて話をするシーンを描きたくて、そこから逆算した時系列で物語の進行を決めたのだと思われる。
ただし、必然的に発生する進行の遅れ問題に関しては、登場人物は誰も突っ込みを入れていない。まあ、突っ込みが入ると、宮森が一方的に悪者にされてしまうわけで、彼女を必要以上に無能にさせるわけにはいかないのであろう。それに、今作のクライマックスである怒涛の追い込みシーンをがっつり描かれていたことで視聴者はあんまり気にならなかったはずだしね。

アンノ・ヒカワの、昭和TVマンガ主題歌史集

運良くチケットをゲットできたので、行ってみた。

庵野秀明曰く、「OPを時系列に沿ってまとめることで、アニメ史みたいな視点で語れないか」というのがイベントの発端であったようだ。だが、しかし、大半の観客(と、おそらくは庵野とともに登壇した氷川竜介)が期待していたのは、恐らく全然別のことであったろう。つまり「リアルなアオイホノオ 第三話を観たい!」ということだ。

アオイホノオ」 の第三話では、課題提出に行き詰まった主人公が、店先でかかっている東映動画のOP集を観に行くエピソードがある。そこで、庵野をはじめとした将来ガイナックスを作ることになる人たちがぞろぞろやってきて、あれやこれや喋ることになる。「この重量感」「本編では見られない光子力ビーム」とかなんとか。
当該シーンではマジンガーZのみ語っていたわけだが、その他のOPについても薀蓄を聞いてみたい! グレートマジンガーもいいんだろ、どういうところがいいんだ? できれば本人の口から直接聴きたい! と、思った人は沢山いたはずだ。

で、実際にこのイベントはどんなもんだったのかというと、まさしくこのアニメOP語りをやろうとした内容だった。

内容的には大きく二部に分かれていて、まず40本近くのアニメOP(1つだけEDあり)を1時間にわたって上映するのが第一部、次に庵野秀明氷川竜介が登壇し、先の映像を今度は音を抜いた状態で上映し、あれやこれや語り合うのが第二部という構成になっていいた。
で、第二部は、本当にアオイホノオの例のシーンみたいな感じで、それぞれがぽんぽんと原画マンの名前を出したり、「このカットがいいんだよ!」みたいなことを庵野が力説していて、大変面白かった。マジンガーZについては、概ねドラマ通りの感想であったのだが、庵野本人的には光子力ビームは円形ではなくて、本編の描写の方が好きなんだそうだ。最後のゆらしについては、大変興奮して語っていたわけだが、観客の大半はは脳裏に「アオイホノオ」の1シーンが浮かんでいたはずだ。

上映されたOPは「鉄人28号」から「超獣機神ダンクーガ」まで。「主として作画がよいのを選んだ」とのこと。印象的だったのは、「ジャングル大帝」と「赤毛のアン」あたりであろうか。それぞれ、大画面に映えるすばらしいクオリティ。前者については、こんな沢山のフラミンゴ等を描いたりするのは今となっては不可能ではないか(「CG様に頼ることになるでしょうね」)とのこと。「赤毛のアン」については、自分もリアルタイムで観ていたはずなのだが、こんなすごかったっけと呆然としてしまった。
その他、全体的にはディズニーの呪縛から日本独自のアニメへと進化していく流れであること、トレスマシン導入によるOPの変化、スタジオによる作風の違いなどなどがテンポよく語られていった。OPを見ながらのトークなので、必然的に一作品について言及される時間が限られるわけだが、結果的に、進行がグダグダならず良かったのではないだろうか。
なお、当初はもっと新しい時代のOPも候補にあったようで(「カウボーイ・ビバップ」なんかも挙げられていたとのこと)、できれば続編もやって欲しいんだけどなあ。

最後に語っていたのは、「昔は良かったと言うつもりはないが」と前置きしたうえで、「以前は、アニメとは関係ない畑のひとたちが(なかば仕方なく)集まってきて、それゆえに多様性が産まれてきた。でも、僕らの代では特撮やアニメしか知らない人ばかりで、さらに今だとアニメしか知らない人たちばかりになり、純粋培養で同じような作品ばかりになっている」という危機感があるという。
ということで、「日本アニメ(ーター)見本市」になるわけだが、こちらは二作くらいしか観ていないので、また別途。

(2014/11/8 新宿バルト9

田村ゆかり ファンクラブイベント2012

に行ってきた。

もう大分たってしまっていて、記憶も曖昧になりつつあるが、それでも印象に残った箇所を書いておく。

  • 司会:鷲崎健、構成:伊福部崇のコンビは、2009年FCイベ(愛知)、2010年FCイベに続いて3回目。わっしーは、これまでは手探り感みたいなところがあったのだが、今回は完全にFCイベにおける田村ゆかりと観客のいじり方を把握しきっていた。場を進行させるところと、ゆかりんの暴走を(敢えて)放置しておくところの匙加減が絶妙だったような
  • なお、「喫茶黒うさぎでゲストに来た時に、自身の2枚目のアルバムの宣伝をした」というのは間違い。宣伝したのは、ポアロのアルバム
  • いつものFCイベと同様、ゆかりんが色んな課題に挑戦していくというものなのだが、それぞれの問題の出し方や順番が絶妙だった。足踏みがあそこまで面白くなるとは!
  • 観客が持参したスケッチブックに質問の答えを書かせて、ゆかりんとわっしーがそれぞれ予想するというのは、全員が参加している感を出していてうまいなと思った。「『E.T』じゃなくて『ヨT』になってます」というツッコミはナイス。
  • 2年前と違って今回はPVの撮影なし。だったら、ライブコーナーは後ろに持ってきて欲しかったなあ。野外のライブは夕方から夜にかけての時間がいちばん映えると思うし。体力的な問題もあるんだろうけれど、でもなあ。
  • グッズで買いたいものが全然なかった。唯一欲しかったタオルが売り切れ……
  • 最後に2012年秋のツアーが発表! しかし、こんなに次の開催の間隔が短いのなら、「春待ちソレイユ」をI Love Rabbitで全部歌いきらずに、2〜3曲残しておけばよかったのに(急遽決まったツアーとのことなので、しょうがないのかもしれないけれど、そもそもアルバム収録曲を全部使いきっちゃうのは、セットリスト的にも次回の予定的にも良くないんじゃないのかなあ)

ということで、面白くはあったけれど、2年前に比べるとなあ、という感じ。でも、トークは楽しかったです。来年もこんなユルいイベントがありますように。